住吉公園

ようこそ! 大阪府営5公園ポータル いこいこ! おおさかの公園 2020年9月21日(月) 13:00 JST

「住吉公園歴史探訪」第8号

住吉公園150年記念事業
「住吉公園歴史探訪」第8号
歴史探訪 第8号
発行日:2020年9月1日
(季刊:3月・6月・9月・12月発行)

明治6年に開設された大阪府営住吉公園は、2023年に開設150年を迎えます。「住吉公園 歴史探訪」では、住吉公園150年記念事業として住吉公園の歴史をたどり、開設当初からどのように利用され、どのような変遷を遂げてきたか、悠久の歴史に想いを馳せてみたいと思います。

明治三十六年「住吉神社及公園之真景」

明治期の絵図「住吉神社及公園之真景」(摂河泉文庫所蔵)を紹介します(本号二・三面に掲載)。明治三十六年七月十五日発行の多色刷り風景画で、著者・発行者の清水吉康は、大日本名所図録、日本全国パノラマ地図、第五回内国勧業博覧会の刷物などを手掛けた画家です。

本図は、神社と公園を中心に、大阪湾から東方を望む伝統的鳥瞰図で、前方沖合には帆掛け船、背後には生駒から二上山までの山並み、中央には神社・公園を実際よりも大きく描いています。建物の主なものには名称を付し、外観や配置が精緻に描写されています。

この様な鳥瞰図は、明治期にも数々発行されていますが、公園を中心に描いたものは例がありません。所蔵者の摂河泉文庫・南川孝司氏によれば、かつて東北地方の古書店で入手したとのことですが、今までその存在は知られていませんでした。今回、新出資料としてその内容を確認してみます(※以後、元号は明治)。

公園の施設

南海鉄道(現南海本線)の線路東側、汐掛道の南北に君の家・三桝。北はずれに便利亭。線路西側、汐掛道の北域を東から順に、藤の家(二軒)・東喜楽亭・西生楽亭・笹村家・小松亭・みさき亭(二軒)・老松亭・好松亭。公園北、旧材木川の対岸(粉浜村域)に朝日舘。そして、汐掛道の南域に、安楽亭・小山楼・松川亭・大野・松月亭・小松亭・つるの亭・小山楼(別軒)・芦の家・二葉亭・若松亭・広栄亭・林亭・松寿亭・住の江(二軒)・温泉小山楼(煙突付きの温浴施設)・ときわ楼・みどり・松栄亭・喜楽園。

公園西端には石の大鳥居(三十六年六月建立)、禁裏御祈祷所(宝之市神事の御旅所、※本紙第三号参照)、関西植物園、禊(みそぎ)舘(住吉御潮湯禊舘、※本紙第四号参照)、高燈籠、十三間堀川の長峡橋があります。

植生と地形

園内にはマツやサクラを主にした植生が描かれ、土地の隆起や凹凸は表現されていませんが、大小八つの池があり、南域の三池は細江川につながっていたこと、池や川には十三カ所も小橋が架かり、六つの小島があったことが確認できます。公園の西方、十三間堀川にかかる長峡橋の西詰は住吉長峡ノ浦で、干拓中の区画、波止場があり、その先端には岩田楼が見えます。ただし、同川の上手は、なぜか川筋と海とが同化して描くので写実性に欠けています。

なお、特筆すべきは「関西植物園」の表記です。その形態や運営の詳細は不明ですが、大阪ではなく「関西」と冠して植物園が設置されていた事実がうかがえます。

表1:住吉公園・大阪港・住吉大社の関係略年表

周辺の様子

そのほかの所見では、十八年開業で二十五年複線化した南海鉄道の線路と住吉停車場(跨線橋を備えた駅舎)。神社を隔てた遥か東方(図左上部)には高野鉄道(三十三年開通、現南海高野線)と東停車場(現住吉東駅)。次に神社の西側、紀州街道(図中央を左右に通る道)の長峡町から旧住吉新家(現東粉浜)にかけては、電話所・警察著(火見梯子を併設)・阪口銀行・楊井銀行(現みずほ銀行住吉支店)・瓢々亭・つなぎ貝・いも弥・魚芳楼・いも菊といった商店。街道を南へ行くと安立町と浪花屋の笠松(昭和二十三年枯死)。その東方(図右上)川沿いには津守氏邸宅(男爵津守家の旧邸)。線路の西側、公園の北方は旧粉浜村で、一面の畑のなかに煙突のある紡績所(大阪合同紡績住吉工場)。同じく粉浜村鎮守の塞神社(四十一年生根神社に合祀)が見えます。

絵図制作の背景

本図が発行された三十六年は、第五回内国勧業博覧会が大阪で開催された年です。同年の五月には大阪港・築港大桟橋の竣功式が挙行され、六月には住吉公園に大鳥居が建立されました。寄進者は西村捨三ほか三十二名で、石材は大阪築港事業で採石した犬嶋石を転用したものです。また、本図に掲げられる祭典一覧には「築港祭」を明記しており、発行日の七月十五日は大阪港開港記念日に合わせています。これによって、本図は大阪港造成の事業を背景に、第五回内国勧業博覧会のために発行したものと考えられます。 (小出英詞)

明治36年「住吉神社及公園之真景」(部分拡大)
明治36年「住吉神社及公園之真景」(部分拡大)
住吉公園の園内にあった禁裏御祈祷所、関西植物園、大鳥居。園外には禊舘(潮湯舘)、高燈籠、長峡橋、十三間堀川、そして狭まりゆく長峡浦(住吉浦)の様子が描かれる。

 

明治36年「住吉神社及公園之真景」
明治36年「住吉神社及公園之真景」
所蔵者 摂河泉文庫 南川孝司氏

 

明治三十五年「大和川堤上より住吉遠望」

本号のメインとなる鳥瞰図「住吉神社及公園之真景」の出来栄えに驚くと同時に、編集部として、この鳥瞰図の景観を補足できるような同時代の住吉公園の写真探索を行いました。この過程で私たちが目を奪われたのが、堺市立中央図書館が所蔵する写真集『堺大観』に所収された「大和川堤上より住吉遠望」でした(写真1)。明治三十五年(一九〇二)の夏から秋に撮影されたと思われるこの写真からは、次の六点において注目すべき事実を指摘できます。多くの情報を読み取ることができ、鳥瞰図の情報を補う格好の史料となります。(水内俊雄・櫻田和也)

(写真1)「大和川堤上より住吉遠望」(堺市立中央図書館所蔵)
写真1:「大和川堤上より住吉遠望」(堺市立中央図書館所蔵)
『堺大観』では、鉄道は高野線とされていますが、南海本線の誤りと思われます。

  1. 住吉公園の松林の全景が、高燈籠や茶屋なども含めて見られること。その撮影範囲は地図1で示しているように、東側は南海鉄道が公園内を走るところまで含められていると判断できます。
  2. その手前の嶋村の集落が、蔵も含めて鮮明に見ることができます。一方で、地図1で判明しますが、紀州街道沿いの安立町の家並は映っていません。
  3. 明治三十三年(一九〇〇)に粉浜村に進出した当時の明治紡績の煙突が遠景ながら存在感を示しており、当時の工場がわかる貴重な写真史料となっています。
  4. 南海鉄道の汽車が、大和川堤防より築堤を下る逆行運転で、難波方面に向かっているシーンが印象的です。手前から伸びる非耕作の敷地が、開業当初の終着駅であった大和川臨時駅(手前)からの廃線跡として確認できます。これは大発見かもしれません。
  5. 手水川の流路が直線化された耕作地部分で、農作物を栽培している様子が見事に見られます。作付けされているのは、きゅうりのように見えます。農作業の人々や丸桶などの農耕具までリアルに確認できます。明治期大阪南郊の近郊農業の実態を記録する貴重な写真です。
  6. 堺大観の写真は、堺市史編纂のために準備され、時あたかも第五回内国勧業博覧会の開催の機運醸成に撮られたものと説明されています。鳥瞰図と同時期であり、上の表1のように住吉公園も築港修築の完成祝賀の行事を執り行っていました。博覧会、築港と言う当時の大阪のビッグイベントを関連づける写真と鳥瞰図であることがわかります。

 

(写真2)写真1の部分拡大
(写真2)写真1の部分拡大
高燈籠の右横に潮湯の禊館が確認できます。その右手奥には建設後2年くらいしか経ていない当時の明治紡績粉浜工場の全貌が確認でき、風情のある住吉公園とは対照的な景観となっています。南海鉄道の大和川を越えるために作られた築堤や、それをくぐる小隊道が目新しく見えます。右側には嶋村の村墓も白く見える墓石が集まった形で見られ、これは地図1でも確認できます。写真5よりも短編成で軽やかに築堤から下ってゆく機関車も目を引きます。当時、和歌山まで開通し、既に複線化されていたこの区間では、30分おきに列車は運行されていました。

(写真3)写真1の部分拡大
(写真3)写真1の部分拡大
住吉公園の松林の形状や生え方が確認できる貴重な写真です。鳥瞰図に描かれている小山楼の建物と煙突がこの写真でも確認できます。また、嶋村にいくつか現存する母屋や蔵の状況が見事に見て取れます。電化時に設置された住ノ江駅や発電所は、約5年後に登場することになります。

(地図1)
(地図1)
明治40年(1907)測図の「住吉」「堺」の1万分の1地形図より、想定の撮影ポイントと撮影エリアを赤線で示しています。

(写真4)
(写真4)
昭和3年(1928)撮影の大阪市の空中写真からは、廃線の跡がきれいにうかがえます。黄線が想定の撮影エリアとなります。この後大阪市安住土地区画整理事業が始まり、この区画は消失します。

(写真5)
(写真5)
写真2の編成よりも長い、和歌山方面に向かって大和川を渡る蒸気列車。注目点は、列車後尾の住吉方面に住吉公園の松林が、写真1とほぼ同じ形状で確認できることです。撮影は明治30年代と思われます。上田貞治郎写真コレクションより

 

発行:

都市公園住吉公園指定管理共同体
(株式会社美交工業・NPO法人釜ヶ崎支援機構)

お問い合わせ:

住吉公園管理事務所 電話 06-6671-2292

編集委員:

水内俊雄(代表、大阪市立大学)、小出英詞(住吉大社)
寺田孝重(苅田土地改良記念コミュニティ振興財団)
繁村誠人(NPO法人 国際造園研究センター)
櫻田和也(NPO法人 remo記録と表現とメディアのための組織)